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「アーメン」は言い難い? [気楽に読んでね(^-^)]


長女の結婚式が6年間通った大学のあるおしゃれな港町の格式あるホテルで行われました。
店を継いでくれると思っていた娘を嫁に出すのは寂しいものですが、まあ多くの親が通ってきた道と思えばあきらめもつきます。


ましてや現代社会は、電話もメールもLINEもあります。
声が聞こえて、意志が通じれば、どんなに離れていようとも一瞬のうちに時間、空間の壁を越えられます。いい世の中になったものです。


彼女の結婚式はキリスト教式でした。
申し訳ないけれど、カトリックの神父さまなのかプロテスタントの牧師さんなのか、それすらわからない親でしたが、港町にふさわしく、外国人の、とりあえず神父さまとしておきましょう、流暢な日本語を話す50代くらいの神父様でした。


不思議なものですね、たどたどしい日本語の聖書を読まれる時はそうでもないのに、早口の英語で誓いの言葉なんかを話されると、俄然おごそかな空気が漂います。


賛美歌312番、例の「いつくしみ深きわが主イエスは~~」という定番のやつが流れると、「ああ、この歌か、知ってる!」と言うんで、みんな声を張り上げます。
これは賛美歌なので、最後に必ず「アーメン」を二度言わなければなりません。


ところが!ここまで大きな声で歌っていた人々の声が、ぴたっと止みます。「アーメン」を唱えているのは、合唱団の人ばかり。

「アーメン」を唱える機会は2度、3度会ったのですがどこでも「アーメン」が唱えられることはありませんでした。


「アーメン」の意味は、「その通り」ということで、その教えをその通り守りますという誓いの言葉だそうです。つまり、お経の最後に「アーメン」と言おうが、そんなに違和感のない言葉のようなのですが、私たち日本人の心の中では、「南無阿弥陀仏」と同じく、一番のキリスト教を代表する言葉と受け止められます。

だから、なんとなく言えない。いいづらい。


日々の生活の中で仏教徒を認識していない私たちが最後の最後、仏教徒であることの証なのでしょうか?

それならまだしも、周りと同じことをしていれば安心な私たち。もしも誰かが一人大きな声で「アーメン」を言い出したならば、みんな一緒に唱えていたのでしょうか?


まり「アーメン」が言えなかったのは、積極的回避ではなく、消極的回避という訳です。
誰も言わなかったから私も・・程度のささやかな抵抗だったのかもしれません。


日本人は、とうの昔はさることながら、クリスマスも、誕生日も、バレンタインも、ハロウィーンも
本当にすんなりと受け入れて来ました。それが碧眼紅毛の西洋人の文化だったからでしょうか。

異国の文化はいともたやすく受け入れて、その上日本的にアレンジするのが大変上手な日本人。


ところが自国の文化を認めることは、なぜかうまくない。
外国から「スゴイ!」と認められてやっと気がつく。


坐禅(座禅)もそうかもしれません。
今、外国、特に西欧諸国ではブームといわれるくらい坐禅(座禅)が盛んだそうです
このあいだ聞いてびっくりしたのは、日本の教会で坐禅(座禅)を取り入れているところもあるそうです。

この際、それでもいいと思います。もっともっと、日本人が坐禅(座禅)の良さに気づいてくれるなら。


何度でも申し上げましょう。仏教と結びつく坐禅(座禅)が嫌なら、形だけ、方法だけ真似て下さい。
要するに幸せになりたかったら坐禅(座禅)をするのが一番簡単!というこのことだけを忘れないで覚えていて欲しいのです!

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