日本人捕虜が作ったナヴォイ劇場 [落ちこぼれ仏教徒にもなんとなくわかる「仏教の教え]
このあいだテレビでやってましたね。ウズベキスタンで日本人捕虜が作ったナヴォイ劇場の話。
終戦で満州を引き上げ、いよいよ日本に帰れると勇んで列車に乗った四百数十人の人々が連れてこられたのは旧ソ連領のウズベキスタンでした。そこでは2年間で劇場を作ると言う過酷な任務が待っていました。
彼らは皆技術者ではありましたが、建設は素人です。
それでもリーダーの「生きて日本に帰り、また桜を見よう。」の一言で、劣悪な環境の中、まじめに律儀に働きました。
それでもリーダーの「生きて日本に帰り、また桜を見よう。」の一言で、劣悪な環境の中、まじめに律儀に働きました。
最初は彼らにひどい仕打ちをしていた地元の人々も次第に彼らの真面目な仕事ぶりに感心して心を開くようになり、捕虜たちの中心になっていたリーダーが事故で亡くなってしまった時には、率先して花を手向けてくれるまでになりました。
予定通り2年間でナヴォ劇場は立派に出来上がりました。その立派さは、旧ソ連時代の4大劇場と称えられるほどでした。
ナヴォイ劇場は1966年のタシケント地震を耐え抜き、多くの人々の避難場所となりました。
ナヴォイ劇場建設時に不幸にも亡くなった捕虜たちの墓には、桜が植えられています。
彼らが夢にまで見た日本の桜。せめてこの地で桜を見せてあげようとの人々の温情です。
彼らが夢にまで見た日本の桜。せめてこの地で桜を見せてあげようとの人々の温情です。
いいお話でしたね。(^-^)
でもこういう話、この頃多過ぎませんか?
日本人は昔話をしないと自分たちを誇れないほど今はダメになっているのかと却って残念に思いますけど・・。
とにかくこの国は旧ソ連の国でした。国民は政府の情報を鵜呑みにします。(これはどこの国でも同じこと。)
だから捕虜たちは最初はいじめられました。
でも次第に、住民の気持ちは変わっていきます。
それは住民たちが毎日日本の捕虜たちの働きぶりを見ていたから。
それは住民たちが毎日日本の捕虜たちの働きぶりを見ていたから。
充分な食べ物も無い過酷な環境で、来る日も来る日も文句を言わず、手も抜かず、しっかりと頑丈な建物を作り続ける。
彼らもそうですが、私たちも自分の目で見たこと、自分の耳で聞いたこと、自分が経験したことをまず信用すると思いませんか?
「こういう風に聞いていたけれど、実際に会ったらこういう人だった。」という経験は、その人に対するあなたの評価を変えます。
自分の目を信じてください。自分の耳を信じてください。そして自分の五感で体験したことを真っ先に信用して下さい!
この自由で民主的と言われる日本の中でも、政治の中には嘘がまかり通っています。
政府の言うことや、誰かが言うことではなく、自分の嗅覚で嗅ぎ取った情報を信用して下さい。
政府の言うことや、誰かが言うことではなく、自分の嗅覚で嗅ぎ取った情報を信用して下さい。
ましてやネットの情報などいわずもがなです。
大きな声になってる情報があったら、その裏側を読み取る努力をしてください。
「みんなが言ってること」は、決して「正しいこと」ではありません。
「正しいこと」である可能性もありますが、そうでない可能性も大きいことに注意して下さい。
「正しいこと」である可能性もありますが、そうでない可能性も大きいことに注意して下さい。
大本山活禅寺で師匠に真っ先に習ったことは「信は万宝の母」という言葉でした。
仏教の基本はまず信じることであるということです。
信じなければ、何も始まらないぞ!とも言われました。
仏教の基本はまず信じることであるということです。
信じなければ、何も始まらないぞ!とも言われました。
確かにそうでしょう。神も仏も、信じるところから始まるものであって、それを信じなければ神も仏も居ないのと同じことなのです。
確かに「信じること」は一番大切ですが、「何を信じるか?」もまたものすごく重要です。
「正しいこと」を信じよう。でもその「正しいこと」が何かわからない。
とりあえず「私を信じよう!」だと思うんです。
なぜならば、私は信ずるに足る存在だから。
なぜならば、私は信ずるに足る存在だから。
なぜそう言い切れるのか?
それを確かめるのが坐禅(座禅)なんだと思います。(^-^)
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