人を傷つけた! [とんでも人間、とんでも薬剤師]
人を傷つけた。
傷つけたことは以前からわかっていたが、その程度がどんなで、その人にとってどれだけ大きなダメージだったかは最近知った。いまだその内容の細かいところまでは把握していない。
自分にとっては、それがその時点での最良の選択のように思えた。
その人にとっては少々迷惑なことかもしれないが、長い目で見たら吉と出る。
その人もあとで喜んでくれるだろうと高をくくった。
その目論見がはずれた。
中身はわからないが、その人に仕事上大きな迷惑をかけてしまった。
その結果、その人につながる人々をも裏切ることになってしまった。
つくづく自分は社会性が足りない人間だと思う。
友達も少ない。社会に出て働いた年月も短いから、仕事の厳しさがわかっていないのかもしれない。
今出来るのは、その人に手紙を書いて謝ることくらいだ。読んでくださるとは限らないけれど・・。
たまに考える。もしも相手の気持ちが手に取るようにわかったら、少なくとも日本語としていつの間にか定着してしまった「フォロー」というやつがし易いのではないか?
自分のような馬鹿な失敗をしでかさずに済んだのではないか?
でもやっぱり考え直す。「サトラレ」を見るまでもなく、考えていることがすべて相手にわかってしまったら、秘密も何もあったもんじゃない。それはそれで最悪だ!
結局人間一人が一つの世界として完結しているということは、まぎれもなく幸福なことなのだ。
自分のダメさ加減に辟易してる時、子供が奥さんと喧嘩したと言って帰ってきた。
笑ってしまった!
ついさっきまでダメだダメだと思っていた自分が、訳知り顔でお説教をしている!
「彼女だって疲れてるんだからさあ、わかってあげなくちゃあね。」
って、自分にそんなこと言う資格あるの?
その時に突然「役割」という単語が降りてきた。
そう。これは、母親の役割。子供にお説教するのは親の役割!
他の人には決して出来ない役割ならば、うまかろうが下手だろうがやるしかない。
資格があろうがなかろうが、今与えられた役割を淡々とこなすしかない!
たぶんこの次のブログで、九子の夢の坐禅の本のご紹介が出来るだろうと思う。
30数年間、坐禅をちんたらやった。
それはそれで、やらないよりはずっと良かった!
だけどもう少し頑張ってやっていたなら、物事の正しい判断がよくできていたはずだった!間違いも反省ももっと少ない人生だったに違いない!
(九子のブログにも同文を投稿します。)
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