人種差別って? [気楽に読んでね(^-^)]
去年の大晦日恒例の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」
という、私もたまに見ている人気お笑い番組で、濱田さんが顔に墨を塗って黒人の真似をしたことが物議をかもしているらしいですね。
だけどこういうこと、今までも誰か誰かがやっていたと思うんです。
昭和生まれの私が一番強烈に覚えているのはシャネルズ。メンバー全員が顔を黒くして、ブラックサウンズ風の歌を歌っていました。
その時私は、というか日本中の多くの人が、それが黒人に対する差別であるという認識で見ていた人は居なかったじゃないかなと思います。
そんなことに考えが至らなかったというほうが正しいのでしょうか。
今回、日本に十年以上暮らしていらっしゃる黒人の方から声があがったそうです。
差別も、いじめも、差別されている人、いじめられている人が傷ついて、差別だ、いじめだと感じたら、差別した人、いじめた人がその気が無かったと言ってもそれは通りません。
その時点で列記とした差別であり、いじめになるのです。
これは認識として正しいと思います。
だから今回、黒人の方が不快に思ったのであれば、こういうことはすぐに止めるべきです。
でもこのニュースを聞きながら、別のことを考えているあまのじゃくな私もいました。
もしも白人が黒塗りをしたら、黒人たちは同じだけのエネルギーで差別だと騒ぎ立てるのだろうか?
黒人も黄色人種の私たちも、白人にすればcoloredと呼ばれ、差別、いや、区別されます。
同じcoloredなのに、黄色人種にバカにされたように思って、彼らは余計に傷つき、騒ぎ立てたのではないか? そんな風に考えると、もしもこの考えが正しいとすれば、それは黒人たちの黄色人種に対する逆差別という見方も出来ます。
差別の問題は本当に難しい。
いじめはまだ目に付きやすいので、確かにやめることは難しいかもしれないけど、はっきりとしています。
でも差別は、自分の中に差別という意識が無いことが往々にしてあるので、とても難しい。
「あいつは気に食わない。」という感情の裏に、実は差別があったりします。
感情の底の底に根ざしていて、外から見つけにくい気がします。
坐禅(座禅)をして気分が良くなると、自分の気持ちの中のドロドロのヘドロがきれいになる気がします。
特に他人をいじめる様な人間は、たいてい今に満足していないのです。
そういう人にこそ、坐禅(座禅)をお勧めします。(^-^)