あなたは、あなたのままでいいのです [どうしても知って欲しい大切なこと]
今週いっぱいPCの不調にふりまわされて、坐禅ガールを読む暇がありませんでした。
そこで、坐禅ガールの最後の最後、著者田口ランディさんのあとがきの終わりの一文をご紹介したいと思います。
「あなたは、あなたのままでいいのです。」
この一文を読んで、田口ランディさん、つかみましたね!と思いました。(上から目線ですみません。(^^;;)
坐禅をしてこれがわかることが、とりあえずの到達点だと思います。
不幸せな人がなぜ不幸せかと言うと、今の自分に満足できないからです。
誰かを羨ましいと思い、自分にあれさえあれば、これが足りないから自分は不幸なのだと思い、満足することを知らないからです。
そんなこと言ったって、自分には不平不満がいっぱいあるんだ。これが改善されなければ、自分は絶対に幸せにはなれない!あなたの愚痴が聞こえてきそうな気がします。
30年前の私がそうでした。母がなんでもやってくれて、私は何もしなくて良くて、お勉強だけやっていればよかった。その挙句地元の優等生にはなれたけれど、大学に入ってみたら勉強ばっかりしていて大学に入った人などほとんど居なくて、あれもやった、これも出来る、これからこれをやりたいっていう人たちばかり!
自分が今までの人生に遣り残してきてしまったものの大きさ、多さに目がくらみそうでした。この差を挽回するのに、私は何年かかるのだろう?そもそも挽回など出来るのだろうか?
そう考えた時、私の人生は暗い暗いトンネルにはいったようでした。
そして、見る人すべて、会う人すべてが自分よりも凄い人だというコンプレックスで、何も手が付かないような状態でした。
「いつも笑っている明るい九子ちゃん」がトレードマークでしたから、自分の心の中がぐちゃぐちゃに傷ついて、他人が怖くて仕方が無かった時にでも、無理してにこにこ笑っていました。自分の暗さをひた隠しにして笑っていることだけに一日の大半のエネルギーを使っているような状態だったのです。
他人と、というか同級生ですが、話をすれば彼や彼女は私に出来ない何かを一つは必ず持っていました。今考えてみればそんなこと当たり前のことなのですが、彼らの凄さにいつも気が付いて、そういうものの何も無い自分に劣等感を持っていました。
もちろん当時の私自身の状態は一人じゃ何も出来なかった訳ですから、劣等感にさいなまれて当然だったとも言えるのですが・・。
考えてみると今の私が出来ることと当時の私が出来たことの何が違うかと聞かれれば、当時も今も「出来ないひと」なのはまったく変わりません。
むしろ年をとった分忘れっぽくもなったし、身体も動かなくなったし(^^;;、大いに悩んでいた若い頃の方がむしろ出来がよかったくらいです。
だけど、昔はあんなに不幸だったのに、今の私はこんなに幸せ!
その差が何かと言われれば、ただひとつ!坐禅(座禅)に出会ったこと!
そして、自分は自分のままでいいんだ!と気づけたこと。
それに尽きます。