うつ病に効くのはお医者さんの薬だけです! [どうしても知って欲しい大切なこと]
最近伝え聞いたのですが、薬剤師さん、特に漢方薬局の薬剤師さんにとんでもないことをおっしゃる方がおいでのようです。
うつ病を治すのに不可欠なのは、相性の良いお医者さんに診てもらい、種類は少なくてもいいから十分な量の薬を出してもらい、よく休んで養生をする。
私はこう信じていますし、私以外の優秀な薬剤師さんたちもみんな同意してくださると思います。
治療の方針としてもこれが一番正しいと思っています。
ところがその薬剤師さんの言うことはまったく違っていました。
漢方薬局の薬剤師さんだけあって、高い漢方薬や自然食品を薦める。
それはまあ良しとして、うつ病の人に「医者の薬は化学物質だから安心安全ではない!
医者の薬なんて効かないから身体に優しい漢方で治しましょう。」と言う!
最初に聞いたときあきれかえりました。
私が「うつ病はお医者さんの薬を飲まなければ治りませんよ。」と申し上げると、その人はなんと!
「そんなこと言う薬剤師さんにはじめて出会った!」と言うではありませんか!
私は知識の量では最低の部類の薬剤師だと思っていますが、その私を震撼とさせるようななんたる恐ろしい薬剤師さんです。
漢方薬だけ飲んでお医者様の処方薬を飲まないなんて、何も治療していないのと同然ではないですか!もしその人の症状が悪化して自殺でもしてしまったらどうするのでしょう?
薬剤師さんは責任を取れるのでしょうか?
うつ病は大雑把に言って、脳内のセロトニンという化学物質の量が減ってしまうためにさまざまな症状が出る病気です。だから脳内のセロトニンの量を増やすような薬を飲みます。
お医者さんの処方薬は、長い研究の結果セロトニンを増やすということが証明された薬ばかりです。
漢方薬が悪いとは言いません。でもそれらは、本当にセロトニンを増やすという証明はできているのでしょうか?
少なくとも処方薬の補助薬として漢方薬や自然食品を薦めるというならばいいでしょう。
でもそうでないのなら、漢方薬局さんの言うなりに漢方薬だけを飲むのは危険です。
どうか皆様もくれぐれもご注意下さい!
ウツの季節突入! [どうしても知って欲しい大切なこと]
6月です!ウツの季節です!
やっぱり来ました。私のも・・。
実は若いころ。心配だったんです。うつ病って年を取るとひどくなるんじゃないのかなって。
だって、老人のうつ病は重くて治るのに時間がかかるって言うでしょ?
ところがそうじゃありませんでした。少なくとも私の場合は。
毎日毎日薬を欠かさず飲んでいるからでしょうか?病気との付き合い方を覚えたからでしょうか?
今回のウツは、普通の人にはまったくわからないと思います。
そんなに人に会うのも嫌じゃない。ただ症状としてあるのは、ふだんよりも随分
疲れやすくて、眠たいだけ。
あやしいな?と思ったのは、水中ウォーキングしていて、同じ距離でもひどく疲れるなと思った時。そしてすぐに眠くなる!
そういえば6月に入ってから抗うつ薬も3錠に増やしていました。ウツなんて出来れば来ないに越したことないですもんね。以前も何度か、抗うつ薬を増やして、来そうなウツをしのいだことがありました。
朝は普段通りですが、彼を送り出してから午後1時ころまでは電話や入店を知らせるチャイムの音に起こされる以外は基本寝ています。(^^;;
まあこれで、あと半日の体力を養ってる訳ですね。午後からは比較的元気になって、普段と同じに過ごします。
違うのは、夕食作りがかったるいのと、夜に長時間やっていたPC作業が最小限になること。
その結果就寝時間も早くなります。
要するに寝てばっかしの訳です。(^^;;
だけどこの症状を見て、「うつ病」と言い当てられる人はいないんじゃない?
うつ病は本当にさまざまです。
六月にご用心! [どうしても知って欲しい大切なこと]
六月が近づくとドキドキします。よいドキドキじゃなくて、不安なドキドキ。
六月は私にとってうつ病最頻発の時期だからです。
もちろん毎日同じように薬は飲んでます。いつも飲んでるリーマス600mgは変えられないとして、抗うつ薬は結構増やしています。
ちょっとでもおかしいなと思えば、まず眠ります。朝っぱらでも、昼間でも。(^^;;
それもこれも、うつ病に来て欲しくないからです。
何の病気も一緒だと思いますが、うつ病というのは非生産的です。
私のような怠け者でも、まだ元気にしていれば少しは物の役に立ちますが、うつ病になると寝てばかりの時間が多くなり、気持ちの上でもどんよりと死んでいるような日々が続きます。
そうなんです。うつ病はかかると長いのです。私みたいに一か月と少しというのは極めて短い方で、ふつうは数か月か、稀には何年という人もいます。
その間は、まるで人生を無駄にしている気分です。とにかく何をやっても楽しめない!
この喜びの無さは、生きている充実感を根こそぎ奪います。
うつ病患者が自殺するのも、この「生きる喜び」が感じられない辛さなのかもしれません。
もちろん私よりもよっぽど重症の人のお話ですが・・。
たいていのうつ病は何らかのストレスが原因となるようです。
たまに私のように、ストレスのスの字もないのに、昨日までまったく元気だったのに、時期が来るとスイッチが入るように発病するという場合があります。
主たる原因が無い分、薬が割合良く効いて治りやすいこともあるようです。
六月はなぜかうつ病患者さんが増えるような気がします。
昔のブログ仲間で、同じこの時期に体調を崩している人が何人もいました。
読んで下さっていらっしゃる方の中に、わたし落ち込みやすいのよ~という方がいらっしゃいましたら、これからしばらくご注意ください。(^-^)
日本の未来を考えたら [どうしても知って欲しい大切なこと]
平昌オリンピックが終わったら、北朝鮮にすり寄った韓国の未来は一体どうなってしまうんだろうと考えていたら・・!なんと! 米朝韓が一体になり、ただ一人蚊帳の外になっちゃう日本ってこれからどうなるの?と真剣に考えなきゃいけない状態になってしまいました。一寸先は闇ってこのことですね。
私はこういう変化に弱いのです。もちろん家族のこと、家の商売のこと、考えなくてはいけないことはたくさんあるのだけれど、そういうことは割合なんとかなるさと思っていられます。
だけど事、大好きな自分の国の未来が危ういかもしれないという事態に陥ると、なんだか不安で不安で居てもたってもいられなくなる。変な性格ですねえ。(^^;;
ここへ来て北朝鮮が中国にもすり寄り、鎖国が長くて交渉などというものをやったことのなかった外交下手の日本が、どうやってしたたかな諸外国と渡り合っていくのだろうと考える時、もう朝から不安が頭をもたげてどうしようもなくなっちゃうのです。
そう。そういう時のための坐禅(座禅)なのです。
坐禅を毎日続けているメリットは、要するに幸せな気持ちになってありとあらゆる不安が消えて大丈夫!なんとかなるよ!って気持ちになるまでの時間が短くなるということなのです。
もしもあなたが坐禅の良さがわかりかけた段階だとしたら、たぶん30分くらいは最低座らないとダメだと思います。でもそれが毎日座っているうちに短くなる。
20分になり、15分になり、10分になり、5分になる。
仕事の途中に不安の種が起こった時、5分間椅子の上で坐禅の呼吸が出来たなら、あなたは瞬時にその不安を吹き飛ばすことが出来る。これって凄いことだと思いませんか?(^-^)
Instagramやっと一つ投稿しました。 [どうしても知って欲しい大切なこと]
Instagram、数週間かかってやっと一回目の投稿が完了しました!
★ zazenjapanese よかったらご覧くださいね。(^-^)
一回3行ほどの英語と、対訳ではない短い日本語で書いています。
まずはZenとJapaneseに興味を持ってもらえる外人さん目当てです。
言い訳しますね。実はもう10年間になるのです。坐禅の本を出したいと思い始めてから。
もちろん日本語の本を日本でですよ。
ところがこれが思いのほかハードルが高い。売れないんですって!宗教の本は!
それに今、昔と違ってただでさえ本が売れない時代でしょ?
だからもう10社以上に断られています。
それと予想以上に感じるのが、日本人の宗教に対する微妙な偏見。
なんかなんにも染まらないのが好きなんですよね、日本人って。
だから、宗教っぽい話だと、嫌な顔される。
ここへきてinstagramに思いのほか雲切目薬を載せてくれる人が多いのを見つけて、お礼コメント書くためにアカウント作って、そのうちinstagramで坐禅の話をするアイデアに思いついたんです。インフルエンザでうんうん唸ってるとき!!(^^;;
一個だけ投稿したインスタグラムには、富士山の上に大きな数字の1があります。
お話続きますから、この順番に読んでくださいってことです。
この画像を加工して数字を入れられるアプリに出会うまで2週間でした。(^^;;
とりあえずこれからも日本といえば富士山ですから、富士山の画像を拝借して数字を入れて、英語3行、日本語1行なら、なんとか三日に一度くらい更新できるかな?
夢は大きく、世界中からたくさんのフォロワーがついて、話題になって、出版社が振り向いてくれて、坐禅の本が出せること!!
夢は大きいほうがいい!頑張ります!!(^-^)
「出来ない人」は「ダメ人間」ではありません! [どうしても知って欲しい大切なこと]
久しぶりに坐禅(座禅)の本の原稿を読み直してみました。
「だめ」で検索すると、「だめ」や「ダメ」が十数か所出てきました。
多いといえば多いけど、全体の長さから言ったらそう多くも無いというのが私の印象でしょうか?
何が言いたいのか?
「ダメ」あるいは「だめ」と言う言葉は、「出来ない」と言う言葉で置き換えるべきではなかったか。
つまり、「出来ない」のは事実ですが、それがすなわちダメではない。
端的には、「出来ない人」イコール「ダメ人間」ではないということです。
私は坐禅(座禅)をするまでこれがわかりませんでした。
自分はなにをやらせても下手で不注意で不器用でのろまだからダメなんだ!
小さい頃から手や身体を使う仕事はことごとく母に任せてきたので、人間、ちょっとやそっとやってみたところで急に手がうまく使えるようになるかと言われても、それは無理な相談なのです。
だから、お勉強だけは出来たはずの優等生は、急に劣等生になりました。
自分で考えて実験をすすめ、手を動かして結果を出すという未知なる分野では、自分は何もわからず、ただただ右往左往するだけの存在だったのです。
究極の「出来ない人」だった私が、坐禅(座禅)を知ることによって、「出来なくても気にしない人」になれました。
もちろん坐禅(座禅)の修行しだいでは、「充分出来る人」にも「とても出来る人」にも「誰よりも出来る人」にもなれるのです。
私が「出来なくても気にしない人」にとどまっているのは、ひとえに私が怠け者だからです。
もしもあなたが自分の出来なさ加減にいらだって、いつも誰かに劣等感を感じている人だったら、どうぞ坐禅(座禅)をしてみてください。
少なくとも私のような「出来なくても気にしない人」にはなれますよ。(^-^)
イライラする遺伝子 [どうしても知って欲しい大切なこと]
イラつく。キレル。
なるべくこういう感情からは遠ざかりたいものですが、こればっかりはなかなか難しい!
我が家ではなぜか血液型Aの因子をもつ人間にイライラ気質が乗っかっている気がします。
父、長男、三男、次女はすべてA型。そしてもちろん私もAB型ですから、A因子があってイライラ人間。(^^;;
M氏は怒った顔を見せたことが無いO型で、次男と長女はB型。この二人も割りにイライラしない方です。
母もB型でした。大きくキレルことはなく、小さな噴火はたびたびあったかも・・。(^^;;
まあでも日本は血液型で盛り上がる文化ですから、可愛らしいと言うか。他愛ないというか。
もっとも一時期、B型人間は自己中などと言われて傷ついた人々も多かったようですが。
これが国民性だとか民族性だとかの話になっちゃうとえらい事です!
たとえば○○民族は喧嘩っ早いとか、発表されちゃったもんなら、大騒動です。
イライラするというのは、結局自分の理想どおりに物事が運ばないせいですよね。
どっちだっていいや!と思っていたら、どんな結果が出ようとそんなに不満はないはず。
自分の理想が高すぎる。それに比して、今の自分の能力がそこまで至っていない。
それで自分にイライラするパターンも多いのかもしれません。
イライラするとエネルギーが貯まります。そのエネルギーの吐き出し方が一番の問題になります。
エネルギーを短絡的に力に変えて、物や人に当たるのは言語道断!!
でも、難しいですよね。それが一番楽ですもん。
こういう力のことを衝動と言いますよね。そしてそれを和らげる薬というのも出ています。
こういう薬が現存しているということは、脳の中で起こっている感情を薬がコントロール出来る可能性があるということ。すべてでは無いけれど、薬が感情を抑えてくれたり、高めてくれたりしてくれるということ。
脳に効く薬が出来たというのは、人類にとって画期的なことだったと思います。
一昔前は電気ショックと言って、脳に電流を通したり、脳の一部分を切除してしまうロボトミーなんという手術まであったのですから・・・。
そういう脳に効く薬を飲むのも一つの手段でしょうが、その前に坐禅(座禅)をやってみませんか?
あなたのイライラがすっかり収まって、自分自身に満足できて、とても幸せな気分になることができますよ。(^-^)
あなたは、あなたのままでいいのです [どうしても知って欲しい大切なこと]
今週いっぱいPCの不調にふりまわされて、坐禅ガールを読む暇がありませんでした。
そこで、坐禅ガールの最後の最後、著者田口ランディさんのあとがきの終わりの一文をご紹介したいと思います。
「あなたは、あなたのままでいいのです。」
この一文を読んで、田口ランディさん、つかみましたね!と思いました。(上から目線ですみません。(^^;;)
坐禅をしてこれがわかることが、とりあえずの到達点だと思います。
不幸せな人がなぜ不幸せかと言うと、今の自分に満足できないからです。
誰かを羨ましいと思い、自分にあれさえあれば、これが足りないから自分は不幸なのだと思い、満足することを知らないからです。
そんなこと言ったって、自分には不平不満がいっぱいあるんだ。これが改善されなければ、自分は絶対に幸せにはなれない!あなたの愚痴が聞こえてきそうな気がします。
30年前の私がそうでした。母がなんでもやってくれて、私は何もしなくて良くて、お勉強だけやっていればよかった。その挙句地元の優等生にはなれたけれど、大学に入ってみたら勉強ばっかりしていて大学に入った人などほとんど居なくて、あれもやった、これも出来る、これからこれをやりたいっていう人たちばかり!
自分が今までの人生に遣り残してきてしまったものの大きさ、多さに目がくらみそうでした。この差を挽回するのに、私は何年かかるのだろう?そもそも挽回など出来るのだろうか?
そう考えた時、私の人生は暗い暗いトンネルにはいったようでした。
そして、見る人すべて、会う人すべてが自分よりも凄い人だというコンプレックスで、何も手が付かないような状態でした。
「いつも笑っている明るい九子ちゃん」がトレードマークでしたから、自分の心の中がぐちゃぐちゃに傷ついて、他人が怖くて仕方が無かった時にでも、無理してにこにこ笑っていました。自分の暗さをひた隠しにして笑っていることだけに一日の大半のエネルギーを使っているような状態だったのです。
他人と、というか同級生ですが、話をすれば彼や彼女は私に出来ない何かを一つは必ず持っていました。今考えてみればそんなこと当たり前のことなのですが、彼らの凄さにいつも気が付いて、そういうものの何も無い自分に劣等感を持っていました。
もちろん当時の私自身の状態は一人じゃ何も出来なかった訳ですから、劣等感にさいなまれて当然だったとも言えるのですが・・。
考えてみると今の私が出来ることと当時の私が出来たことの何が違うかと聞かれれば、当時も今も「出来ないひと」なのはまったく変わりません。
むしろ年をとった分忘れっぽくもなったし、身体も動かなくなったし(^^;;、大いに悩んでいた若い頃の方がむしろ出来がよかったくらいです。
だけど、昔はあんなに不幸だったのに、今の私はこんなに幸せ!
その差が何かと言われれば、ただひとつ!坐禅(座禅)に出会ったこと!
そして、自分は自分のままでいいんだ!と気づけたこと。
それに尽きます。
女性のための坐禅(座禅) [どうしても知って欲しい大切なこと]
今私は「坐禅ガール」という田口ランディさんの小説を読み始めています。
タイトルにつられて買ったのですが、この本のことはまた改めて書かせて頂くことにして、
彼女が「男たちばかりではなく、女性たちだって座禅をしてもいいじゃないか。」ということを書いていらっしゃるのに共鳴しています。
今晩から明日にかけて寒波がやって来るようですね。
福井県の曹洞宗総本山の永平寺で修行している修行僧たちは、寒さに耐えて過酷な修行をしていらしゃることでしょう。あの長い廊下を、毎朝裸足で雑巾がけしているのでしょう。どんなに辛い事でしょう。
ああいう修行は、出来る人がすればいい・・と言ってしまったらお叱りをこうむるでしょうか?
もちろんわかります。人間の限界を超えてこそ見える世界があるってことを。
自分を打ち破るには、限界を超えなければならないってことも。
限界を超えるには、難行苦行が必ず必要になるってことも。
敵を倒して、自分が生きる戦国社会は、現代社会にも通じる競争の世界です。
こういう世界を日々生きている人には、自分を更に大きくして、上へ上へと登る修行の坐禅(座禅)が必要だと思います。
それこそが永平寺の修行の坐禅(座禅)であり、禅寺で修行する多くの人々の姿なのだと思います。
私にはそれが出来ませんでした。なぜなら、怠け者だからです、辛いのが大嫌いだからです。
その結果、入門以来30年が過ぎて、私はただの初心者。いっしょに入門した人々のほとんどは、和尚という位をもらって、更に修行に励んでいます。
彼らを羨ましいとは思いません。だって初心者でも、私は坐禅(座禅)で幸せになれました。あの頃のように作り笑顔などしていません。毎日の私の笑顔は、幸せでたまらない笑顔です。
女性が坐禅したってもちろんいいのです。
それは戦う男たちの辛い坐禅じゃなくてもいいと思います。
私のように、出来る範囲で、無理しない坐禅でも・・・。
坐禅は幸せの宝箱です。(^-^)
不安もいろいろ [どうしても知って欲しい大切なこと]
その後歯が治ってからもたまに電話がかかってくるようになりました。
ひどい時には一日中トイレの前を行ったりきたりで落ち着かない。
もちろん彼女に薦めました。坐禅(座禅)!
「不安が強い人にはとってもいいですよ!活禅寺にこんなに近いんだから、一度いらっしゃいませんか?」って。
でも彼女ほどひどくなくても、誰の心の中にだって不安は潜んでいます。
ふだんはそんなことない強気な人でも、へこむことあるでしょう?
そうなると、いろいろ気になるでしょう?
「そうなったらどうしよう。」とそればっかり考えてるうちに、だんだん怖くなるのです。
あの石に躓くんじゃないか躓くんじゃないかと思ってるうちに、本当に躓いてしまうのだそうです。
その躓きの石を砕いてくれるのが坐禅(座禅)なのだと思います。