大変遅い年賀状2020 [気楽に読んでね(^-^)]
人を決めつけるのはやめた方がいい [気楽に読んでね(^-^)]
いつだったかどこだったか、似たようなことを書いた記憶がありますが、また同じようなことが起きました。
ネットで見たと雲切目薬の注文電話を頂きました。初めての方だと思ってお名前まで伺ったところ、お名前に記憶がありました。
さらに確認してみると、2回ほど未払いのあるお客様でした。
しばらくしてから電話を返しました。お留守だったので留守電に、「未払い分があるので代引きで今までの不足分を上乗せしてのお届けになります。」と入れて切りました。
次の日朝、その方の電話番号から着信がありました。出てみましたが無言です。
すぐに折り返しましたが、「近くにおりません。」と、つながりません。
私は思いました。ああ、この人は入れた留守電で未払いを請求されたのに腹を立て、無言電話をかけてきたんだな。たちの悪いお客さんだったんだな。って。
いつも申し上げるように雲切目薬のお客様は本当に誠実な方ばかりで、後払いなのにほとんどのお客様はきちんと払って下さいます。でも数%はそんな方もいらっしゃるのです。
ところが夕方、その人から再び電話がありました。
未払いがあったのは知らなかった。引っ越しをして住所が変わったので、もしかしたら未払い通知が届いてなかったのかもしれない。しばらく出張で留守にするので代引きは難しい。注文は保留にして欲しい。また電話します。とのことでした。
私が「たちの悪い人」と判断してしまったポイントは、結局は一本の無言電話。
電話のトラブル?で通話出来なかったのを、あるいは急いでいて後からかけなおそうとすぐに電話を切ってしまったのを、嫌がらせの無言電話と勘違いしてしまったこと。
こういう勘違いって、本当に多いと思います。
ミステリーの再放送をよく見ている主婦の方!(私もね(^^;;)
『遺留捜査』で上川隆也演じる糸村くんが「3分だけ僕に時間を下さい!」と言って犯人を諭す内容は、いつも犯人が殺してしまった人がどんなに犯人を愛していたか!ではないですか?
そして犯人は自分の勘違いに、もう絶対に元に戻せない結果に、後悔しさめざめと涙を流す。
そんな命にかかわる勘違いは早々あるものではないと思いますが、勘違いって本当に多いと思います。
ああ、そうだったのか!と気づいてみると、自分の思慮の浅さや思いの足りなさ、
ものの見方の一面性なんかを思い知らされますね。
皆様、たまには年寄りのいうことにも耳を傾けてみましょう。(^^;;
夢をあきらめることは簡単じゃない! [気楽に読んでね(^-^)]
皆さんは私の夢をもうご存じだと思います。
そうです!坐禅の本を書いて、自分と同じような人、つまり他人が怖くて世の中が怖くて、毎日が辛くてたまらない人に読んでもらうこと。
今その夢が曲がり角に来ています。
実はもう14,5年も前から書き始めて、書き直し書き直ししながら、7、8年前から出版社さんを周り、少なくとも二十か所ほどの出版社さんに当たりましたが、今もって良いお返事が頂けないのです。
好評価して下さった編集者さんと編集長さんはお一人ずついらっしゃり、その方々の御言葉を支えに今まで頑張ってきたのですが、さすがに連敗に続く連敗で少々がっかりし、全国出版は諦めて、地方出版にしようとか(それだって厳しいと思います。)、電子出版にしようとか、いろいろ考えています。
でもそういう時、子供から「ママ諦めちゃうの?」なんて言われると、また元気が出てきたり・・。家族の言葉って力になりますね。(^-^)
もちろん諦めません。
でも、こういう本を必要としている人は少なくないはずなのに、どうして早く届けられないのかとてももどかしい。
出版社さんに聞いてもいいものなら聞いてみたい。マインドフルネスや瞑想がブームになっても、坐禅はまだ難行苦行の宗教なんですか?
私はそれを、皆さんの誤解を解いて、幸せになる楽ちんな坐禅(座禅)の話をしたいだけなのに、やっぱり売れないジャンルなの?
出版不況は大きいのでしょうね。
コミュニケーションの場では政治と宗教の話はタブーとなっていますが、本を作る時にも宗教の話は禁物なのでしょうか?
そっち系の本はあんまり作っても売れませんよとか・・。
私はドン・キホーテと同じことをしているのかと、時々切なくなります。
ごめんなさ~い。
たまにはこんな気分にもなります。
人間だもの。(^^;;
愛情が薄い私! [気楽に読んでね(^-^)]
またまたこんなに時間が空いてしまいました。
つくづく私は怠け者!!毎日必ずこれをしよう・・はおろか、一週間に一度でも、一月に一度でも、続けることは難しいのです!
まあ言い訳はいくらでもできます。初孫が出来て生活が一変した。
孫と娘とお婿さんがいる生活はもちろん楽しいですが、長いこと二人だけで暮らしていた気楽な暮らしと比べると、結構体力がいります。
世の中の仕事の出来る人は、どんなに疲れていてもどんなに体調が悪かろうと、自分で決めたことは必ずやり切るのだそうです。
そういうひとつひとつの積み重ねで、仕事の出来る人はますます仕事が出来るようになり、リーダーと言われる人になっていくのでしょう。
リーダーにはほど遠い私は、今考えるとまったくもって無邪気な悩みに取りつかれていました。
私はおばあちゃんになったら、孫を可愛いと思えるかどうか??
誰もが孫は可愛いと言います。それが普通の人の普通の思いなのかもしれません。
ところが私はあまり「普通の人」ではありません。犬猫を見ても可愛いと思わないではありませんが、すぐに手を出す方ではありません。
私は愛情が薄いのかな?というのは、結構長いこと思っています。
だから、初孫が産まれた時、もしも可愛いと思えなかったらどうしよう?
それは割と真面目に悩みました。
そんなバカなことで悩んでる人、まさかと思うけどいらっしゃいますか?
大丈夫でした!!
私でもすごく可愛く思えました。ただ見ている時はあんまりでしたが、
この手に抱くと全然違います!!
だから安心してください! わたしでも大丈夫でしたから、きっとあなたでも
大丈夫です!
そのうちだんだん大きくなって、力が強くなって、泣いてばかりで手に負えなくなって、こんな手にかかるもの、どこかに放り投げたいと思うこともあるかもしれませんが、なかなかそうは出来ないもんです。
あなたの大切な未来だと思えるからでしょうか?
不思議です。(^-^)
落ち込んだ時普通のことが普通にできますか? [気楽に読んでね(^-^)]
落ち込みと言っても、上司に叱られた程度のものから、大切な家族に重い病気が見つかったまで、さまざまだと思います。
あなたはそんな時、普通にするべきことが普通にできるでしょうか?
どんな時でも普通にできるよっていう人は、かなり意志の強い人だと言えるでしょう。
意志の弱いことでは定評のある私の場合、まずそのショックから立ち直れません。
そのことが頭から離れなくなるのです。
頭の中を占有しているのがそのことばかりですから、自然に他のことは考えられなくなります。
そのうえ悲観主義者ですから、物事を良い方向に客観的に考えられなくなります。
頭に上ってくるのは、一方方向の悲観的な考えばかり。
おのずと破壊的な妄想やら、たまに建設的に考えても、それをやり続けるのはいかに大変なことだろうと、先を心配するばかり。
私がただ一つ皆さんより恵まれているものがあるとしたら、それは稀代の運の良さなのです!
この強運のおかげで、今まで何一つとっても、悪い方に転がることはありませんでした。
今まであった出来事が良い方に転ぶ可能性が二分の一。それが良いほうだけに転がり続ける可能性は、二分の一の何十乗か?もはや天文学的な確率だと思います。
もしも一つでも悪い方に転がっていたとしたら、今頃私はどんな人生を歩んでいたのでしょう。
わらをもつかむ気持でもっとしっかり坐禅をやっていたでしょうか?
いや、たぶん違います。
幸せを求めてもっとまめに活禅寺にお参りしていたのでしょうか。
いや、それも怪しいです。
とにかく今以外は考えられませんが、私は自分の悪事に見合うだけの罰も与えられず、とにかく大きな力に護ってもらっているとしか考えられない毎日を送っています。
なぜ突然こんなことを言い出したのか。それは、私と違って打ちのめされた不幸な時にも淡々としてするべきことをしている人に出会ったからです。
彼女は打ちのめされる前も後も、一つのことのために没頭して暮らしていました。
そんなことしても無駄になるんじゃない?私がそう考えていた時も、彼女は一途でした。
そういう努力は、時として思いもかけない幸運を運んでくることがあるのですね。
自分にはとても出来ない努力が出来る彼女を、心の底から凄いなあと思います。
島田秀平さんの手相占い [気楽に読んでね(^-^)]
一日に何回「すみません。」を言っていますか? [気楽に読んでね(^-^)]
他人が怖い日本人が多いということと、「すみません」を言う習慣には何かつながりがありそうに思えませんか?
よく考えてみると「すみません。」を「有難う!」と置き換えるべきなのに、ついつい言い慣れた「すみません。」を使ってしまう人、たくさんいるのではないでしょうか?
「有難う!」は他者と対等です。ところが「すみません。」には卑下の気持ちが入りますよね?
「すみません。」は日本人同士のコミュニケーションにとってとても大事な言葉です。この一言が言えないために、喧嘩をしたり、恨まれたりした人だってたくさんいるでしょう。
日本人同士ならすぐに理解しあえる「すみません。」が、外国で何気なく”Sorry.””Excuse me.” と同様に使ってしまった結果、それは自分に非があると認めることになり、莫大な賠償金を払わされたという話はあちこちで聞きます。
まあそんなことまで持ち出さなくても、「すみません。」の使い方を特に国外では慎重にしましょう。
日本人はただでも人がいい。騙されやすかったり、お金に淡白だったり・・。
私たちはお金で片が付くなら面倒なことに巻き込まれるよりずっと良いと考えてしまいますが、お金を取られるのは絶対に嫌だと思う人々がたくさんいる。その方が多数派なのかもしれません。
あなたは「すみません。」を一日何回言っていますか?
職種や立場によっても違うと思いますが、わたしはたぶん50回くらいは言っていると思います。
日本人同士の日常では、確かに「すみません。」は潤滑油になります。
運転中「すみません。」と会釈されて横断歩道を渡られるのは気持ちのいいものです。
だけどよく考えてみると、すみませんと言って頭を下げるのは、確かに自分を相手よりも見下す姿勢になります。そういう動作を一日数十回するというのは、自分の中のプライドに楔を打ち込む行為だとは言えないでしょうか?
私の親せきのように10歳で「人間はみんな同じだ!」を悟り、世の中の人を誰も怖いと思ったことがないというような人は例外でしょう。
「私、少しずつでも強くなりたいわ。」という人は、まず「すみません。」を「有り難う。」に替えていくべきだと思います。
今年もいよいよ押し迫りました。
良いお年をお迎えください。(^-^)
アフラックのガン保険のCMは嫌い! [気楽に読んでね(^-^)]
山崎弘子さんというガンなのに明るく生きる患者モデルが亡くなり、また新たに男女お二人のガンと闘う人々がアフラックのコマーシャルで取り上げられるようになりました。
この三人は本当に強いです。とにかく明るい!
何度ガンに襲われても自分の出来る限りの様々な治療法を試す。ガンを治療するために足を切断しても、義足で走る陸上選手になる。
お金が底を突こうと、治療がうまくいかなかろうと、めげないで前を向く。
確か山崎さんは結婚もされたんでしたね。
そういう人を見ると、なんとなく自分のちっぽけさを指摘されているような気がします。そんなとこでめそめそしてないで「あなたも頑張って!」と言われ続けているような気がします。いや、アフラックの狙いもそこにあるのだろうけれど・・。
ご存知のように「頑張って!」はうつ病患者には禁句なのだけれど、同じようにいろんなことを人並みに出来ない私のような人間にも「頑張って!」は聞くのが辛い言葉なのです。だって、頑張っても出来ないことがいっぱいあるからです。
世の中にはいろんな人間がいます。ガンになっても明るく闘う強い人ばかりじゃないと思います。泣いて、怒って、何かをたたき割って、他の人じゃなくて自分がガンになった不条理を嘆く人だっているでしょうし、自殺まで考えて、すんでのところで救われる人だっているかもしれないでしょう?
私はそういう人の話を聞きたいのです。ああこの人、私と同じだなと思えて安心出来るからです。ガンになってみんなこんなに苦しんだ!人の見えないところで胸をかきむしって不安と戦った!
そういう話なら、弱い私の心に寄り添ってくれるし、私も泣いていいし、頑張らなくてもいいんだなと思えます。
私は幸いなことにまだガンになっていないけれど、ガンになったら、アフラックさん、弱い私をコマーシャルに載せてください。
泣いてるとこや、怒ってるとこや、憤慨しているとこや、悪態ついてるとこを撮って流してください。
そうしたら、きっとガンに苦しんでいる人たちも、頑張れない人たちも、それを見て救われる人がたくさん出てくると思うんです。
★前回お約束した「いい坐禅とはどんな坐禅か・・・。」はまた後で書きます。<(_ _)>
ごめんなさい!!! そして言い訳 [気楽に読んでね(^-^)]
ああ、また間が空いてしまいました。
ご心配なく!ウツにかかったわけではありません。
書く気が起こらなかったのです。(^^;;
ご存知の通り、このブログは「坐禅の本」の宣伝のつもりで書いています。
ところがこの「坐禅の本」の出版というのが難しい!
何しろ東京で出版社を回り始めてからかれこれ10年近くが過ぎてしまいました。
ところでもう2か月近く前ですが、ある編集者さんに原稿を託すことが出来ました。
もちろんそれは見て頂けるという口約束だけで、何かが決まったわけではありません。
その上その方はお身体の調子が良くないので、無理をお願いする訳にもいきません。
じっと返事を待っているだけの日々です。
それでも、原稿が手元にある時には頻繁に手を加えていました。読み直すたびに、修正した方が良いと思える箇所が次々現れるのです。だから、原稿直しが忙しかった。!
ちょっとしたところの手直しを含めたら、もう何万回も書き直しています!
幸いなことに今は目の前に原稿がありません。原稿に煩わされる時間は大幅に浮きました!
ならばなぜ、このブログを書かなかったの?
決まっております!私が怠け者だから・・・。(^^;;
私の「坐禅の本」には、等身大の私が書かれています。
偉い人が書いた本じゃないから、「あっ、私もそう!」って思いながら読んでもらえると思います。
そうか。これからしばらく、「坐禅の本が出来たらこういう人々に読んで欲しい!」というところを書いてみましょうか。
前にも同じようなこと書いてるかもしれませんが、なるべく重複しないように書いていきたいと思います。
まあ期待せず。
よろしくお願いします。<(_ _)>
★皆さま、ドジな私は今気が付きました。
「ママ、時々うつ」にnice!をたくさん下さっていたのですね!自分の中ではいつまでも「九子の」の方がメインで、ご訪問は長いこと「九子の」にnice!下さった方々だけになっておりました。「ママ・・」の方は書くばかりでほとんど読み返していなかったのです。
nice!コメントの通知設定もし忘れておりました。
このからくりにようやく気が付きましたので、以前からのお友達の顔を見に、また伺いたいと思います。
長らくのご無沙汰、大変申し訳ありませんでした!<(_ _)> <(_ _)>
出版不況 [気楽に読んでね(^-^)]
すみません、またこんなに更新が遅れました。
言い訳は言いません。こういう人間です。
実は・・・・(って言い訳してるじゃん!(^^;;)
また坐禅の本の出版に気持が行っていました。
まだまだあきらめません。
でも、耳にするのは最近の出版界のお寒い事情ばかり。
いかに本が売れないか。初版と言われる最初の刷りが、以前は
1万冊とか当たり前だったようです。
ところが今はその三分の一。それでもさばけない。
結局出版社が考えることは、売れる作家さんの売れる本だけをひたすら出版する。
こんなど素人のよくわからない坐禅の本を出版する余裕など無いのだそうです。
う~ん、困りましたねえ。
でもなんとか世に出したい。
頑張ります!まだ何か所か当たりたい出版社はあります。
でももうこの辺で腹をくくらなきゃならないかもしれません。
10年前、はじめた時は私もまだまだ若かった。
でも私がもたもたしている間に、本を見せたかった私の恩人が何人
亡くなってしまったことか。
なんとか来年の今頃までには形にしたいと思っています。
少なくともそれまでは、このブログを続けるつもりでいます。
よろしくお願いします。 <(_ _)>